クソみたいな社会で生きる希望とは

昨夜は気持ちが爆発し、同居の父にも迷惑をかけました。父も爆発しました。爆発した後は動揺し落ち込みましたが、私も父もたまには爆発しないとやってられませんのでこれはこれで良かったと、そんな風にすら思えます。

 

自分は何も悪くない、むしろ自分は今までいいことをしてきた、家族や他人のために多大なる貢献してきたとわかっているのに、父が悲しみ怒るのを見ると罪悪感や自分責めの感情が湧いて苦しくなり、胃が痛くなりました。これは私だけでなく、精神的に苦しんでる人たち、特に女性はこのような自分責めをすることが多いようです。専門書をたくさん読んでそれを知っているので、今は罪悪感で仕方なく苦しくなっていますが「『自分責めの感情が湧いている自分』をこれ以上責めない、怒らない、ヨチヨチしてあげる」ことはできています。専門書を読んできて良かったです。

 

昨夜「この世に希望がない!」と父に叫びましたが、フェミニズムや先人の女性たちの著書がかろうじて希望と呼べそうです。今のところ。

性暴力に抗議する仲間(女性)とも知り合えましたので、その人たちに生きてまた会うのもかろうじて希望です。そのうちの一人からは今月か来月あたりお茶しようと誘ってもらえました。まあお互い体調が悪いのでどうなるかは未定です。

絶望してる人間は、「近い未来(今週とか今月)のちょっと楽しそうな予定」をちょこちょこ入れると死なない(自死しない)と言われており、私の経験からもそう思います。私は死にたくて自死しようとした時から8年たち、今まだ生きています。人生面白いです。爆発しすぎてあたまが破裂しすぎて、「面白い」と思わず言えるところまで来てしまいました。歳を取るのは悪くないどころかすごく良いですね。